香港 Day7:境界線上を浮遊する by Tomoco

1日空いて、再び集合。

8:20 V54にスティーブのお迎え。日曜日の朝は渋滞もなく、あっという間に荃灣のTS Studioに到着。今日も全員そろって朝ごはんからスタート。宮古島から考えれば、もう3週間も共同生活をしている。当たり前だけど、宮古島にいるときと関係性も話す内容も違う。全員で話している時間が圧倒的に長くなったし、ご飯の時などは本当に“雑談”するようになった。やっぱりこれくらい時間がかかることなんだなぁ~と曖昧にも思った朝でした。

f:id:tomococafe:20190225005434j:plain

朝からトマト麺。トマト嬉しい。

さて、プレゼンテーションは明後日。明日には会場の香港ダンスカンパニーのスタジオ8/Fに移動します。アイディア出しをのんびりできるのも今日までなのかしら。

宮古島雑記から書き続けている「島」と「橋」。テキストを考えるのにあたり、私たちはいったい誰なんだろうと考え続けていた。“物語”は“語り手”を必要とする(という側面がある)。今回、語り手は(行為者)は私たち自身なのだけど、その私たち自身はどういう存在なのか。そこで度々思い出すのは、宮古島で小学生とやったゲーム。島をめぐるゲームです。そのゲームを作っているとき、最初は伊良部島の浜辺で1時間くらい話合いして、それからエコハウスの庭にもどってきて、さらに2時間弱くらい話し合った。ゲームの詳細をここに記すことは困難なのでしませんが、ゲームのルールを組み立てる中で、必ずしもルールを遂行せずとも楽しめる“海を漂う”というポジションをつくった(というより認めた)ことがとても重要な要素だった、と振り返って改めて思う。その浮遊の感覚、海が大きな境界線で、その上を歩く(浮遊する)こと。橋も必ずしも出発地と目的地をつなぐものではなく、橋の上(境界線上)にいることが今の私たちなのでは。その橋には出発地も目的地もないかもしれない。ただ、橋としての橋。そこで、ボさんが言う。「なにかをつなぐから橋なんだけどね(笑)」。そうそう。本当に何かをつなげるかもしれない橋=境界線=海を浮遊する。

f:id:tomococafe:20190225005518j:plain

God Makes Islandのトライアル

これまで出ているアイディアと、新しい提案と。立体化するのにそんなに時間はいらない。ひとまず組み立ててみて、あとは明日実験する。きちんと、実験。ここまでジリジリとやってきたのだから遊び倒さないとね。

明日は7時30分出発、ということで、今日は早めの夕食。鴨の舌食べた。

f:id:tomococafe:20190225005552j:plain

行きつけのフードコートにて

 

主催:NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク

平成30年度文化庁アーティスト・イン・レジデンス活動支援事業