伝統/現代 主に時間編 TRANS part 3 by Tomoco

宮古島滞在よりさかのぼること数カ月。ヒューといろんな会話をする中で、印象に残っていること。香港の今の変化を止めることはできないだろう、けれども、どうやってこの変化をよい方法で受け入れることができるか、それが次の世代への責務であると。アダプテーション。どう受け入れるか。

昔つくられたダンスと今つくられるダンス。懐古の展覧会ではなく、伝統から何を受け入れたのか。原典をなぞっても、それはすでに現代的な視線になる。それでも、時間の流れにこだわりたい。伝統も現代も点ではない、ずっと続いている幅の広い境界線が時間。

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御嶽へと続く道

 

 

伝統/現代 主に空間編 TRANS part 2 by Tomoco

2013年から「絶対的」と銘打って香港のアーティストと一緒に共同企画を行ってきた。メンバーのひとりに広東オペラの俳優がいる。パリス・ウォン。彼は、香港で唯一、女役を演じる女形。さらに2016年、JCDNのダンス・イン・レジデンスで、広東オペラのアクロバットから動きや考え方を抽出してダンス作品をつくる振付家ヒュー・チョウに出会った。2017年さらに行ったヒューとの交流ワークショップでは、能楽師の鵜沢光さんにも参加してもらい伝統と現代それぞれのパフォーミングアーツが持つ新体制についての意見交換を行ってきた。

もっとも印象に残っているのは、香港のバンブーシアター。その名の通り、竹製の劇場。舞台と客席だけではなく、楽屋エリアもすべて竹で組まれている。大部屋、小部屋、衣裳部屋、道具部屋、、、すべてが竹でできた迷宮。その劇場は、息をしていた。

バンブーシアターで上演される広東オペラを袖から覗く。舞台に集中しすぎて、靴のヒールが竹と竹の間にはまって動けなくなったりしながら。

バンブーシアターで見る広東オペラもやはり息をしていた。マイクを通して聴こえる謡が、アクロバットの動きが、演奏を続ける演者たちのくゆらせるタバコの煙が、震えてバンブーシアターの呼吸になる。巨大な生き物。

広東オペラの発声・動き・衣裳・メイク・音楽、そして電球。すべて、バンブーシアターとともに形成されたのだろうと納得する。すべてが有機的に呼吸する。

能楽堂もしかり。能役者の身体を形づくっているのは、能楽堂の空間と時間。やわらかく張り詰める空気の中に360°囲まれて形づくられる体。体だけでつくられた体ではない。

広東オペラも能もその体がいる空間と時間がその体に要請しているものがある。

では、現代における空間と時間はどこにあるか。

現代においても、空間が最初の問いのひとつである。こと、劇場を持たない現代の日本では。わたしたちの劇空間はどこにあるのか。もとい、私たちには劇空間が必要か? 劇/ダンスを起こす、その空間はどこなのか? どこでもよかったその空間は、その行為(パフォーマンス)によって、何になるのか。

ここでもまたTRANSをキーワードに挙げたい。何かと何かの間、隙間、名もなき場所、失われた場所。TRANSとして通りすぎられる境界線、もしくは橋。そこが私たちのいる空間になりうるのか。

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友利地区の敬老会



Steve NG : The unique experience on the amazing islands 

One of the luckiest thing in my life, it was the visit of Ogami island on 25th and 26th November. Before my visiting, I heard that it’s a very special and holy place in RyuKyu Islands, a place that blessed by God, once I stepped on the island and passed a night there, I think I start to understand why people say so. The island only got around 20 residents now, the youngest people already over 50years old. The island is surrounded by peaceful energy, it calms your body, mind and soul. I walked by the seaside, listen to the sounds of wave from the almighty ocean; I walked by the mountains, embrace the winds through the greens; I closed my eyes and feel the moonlight touching my skin; I look up to the sky and running stars over my head. Despite all these my heart was so calm and peaceful, I guess it’s how people feel and react in heaven. It’s not the beautiful scenery couldn’t overwhelm my emotions, it’s just that, the vibe, the environment, the energy that calm my soul. I found my peace, this is the most valuable gift in my life.

The last day before our departure, we had a presentation to the locals and the supporting parties. The work was at its experimental stage, but I did enjoy the process and the outcome. It’s a little taste of each of the artists, on how we work and what directions we go. The different approaches and diversity of thinkings and perspectives came in a good way among us. looking forward for the phase 2 residency program in February Hong Kong. thank you everyone, thank you universe. ありがとうございます!

 

人生にとってもっとも幸運だともいえるのは、11月25日・26日と大神島を訪ねたこと。沖縄の島々の中でも特別に神聖な島、神の島であると聞いていました。大神島でひと晩を過ごしながら、なぜ人々がそのように言うのか感じ始めました。大神島には現在20名ほどの人しか住んでいません。一番若い方でももう50歳を超えています。この島は穏やかなエネルギーに囲まれていて、体、心、魂を落ち着けてくれます。海岸を歩きながら全能の海から聴こえる波の音に耳を傾け、山の近くでは緑を駆け抜ける風と抱き合い、目を閉じれば月の光が頬に触れるのを感じ、空を見上げると星が頭の上を流れていきます。すべてのことが心を落ち着かせ、和やかであること、これは人々が天国で感じることではないかと思いました。感情をコントロールするのは美しい風景だけではなく、雰囲気、環境、そしてエネルギーすべてが精神を落ち着かせてくれるのです。自分の安らぎを見つけたことが、人生にとって素晴らしい体験となりました。

出発の前日、地元の人々やコーディネーターの方々にプレゼンテーションを行いました。実験的な発表でしたが、その過程と出来上がったものをとても楽しみました。それぞれのアーティスののテイストと、これから私たちがどのような共同作業を行うのかがその発表の中にありました。それぞれに異なるアプローチ、考え方、見方があることが私たちの協働の方法です。2月の香港でのAIR2弾を楽しみにしています。みなさん、そして、地球に、ありがとうございます。

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日の出 by Tomoco

2週間の滞在のほぼ終わり、朝日を見に歩いて海辺へ。展望台から日の出を臨む。空も海も、即興で色が変わっていく。何色と表現することも難しい。刻々と変わる。太陽が海の端にまだ沈んでいるころ、水色の空に浮かぶ赤い雲、その日の雲はひつじ雲かな? 完全にターナーの油彩の世界。もちろん、ターナーの方が世界を真似したんだと思いますけど。何枚も何枚も絵が仕上がり形を変えていく。橙の卵の黄身のような太陽がついに海から顔を出す。あまりの温かさに思わず「わぁ」と声が出た。とろけそうな黄身がじわりじわりとのぼっていく。すると今度は、海が色づきはじめる。さっきまで静かに沈んでいた海が、どんどん咲き始めた。

日が昇りきり、物見台を下ると、2人のおばあに会った。友利地区出身のおばあ2人。沖縄本島にお嫁にいったそうだけど、1カ月に1度くらいのペースで帰ってくるとか。このマリンガーデンの一帯が海浜公園よろしく埋め立てられたことにより、砂がなくなり海が浅くなり濁ってしまった、と話を聞く。おばあたちが小さいころは岩にはムール貝がびっしり生えていてよく採っていたとか、運動会の時には海岸の砂を小学校に運んでかけっこしたとか。大きな時間の流れが小さな時間の流れで分断されている。この小さな時間がやらかした変化は、大きな時間の命取りなのか、それとも大きな時間はそんなことには負けじといるのか。

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池間島―宮古島―伊良部島―下地島・・・橋、そしてサバニから、TRANSへ。 by Tomoco

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伊良部島にあった網の山


ところで、多くの島同士が橋でつながっている。中国と香港とマカオも橋でつながった。橋でつながることで、島の生活が便利になることを期待していたけれど、実際には人が出て行っただけだったと聞いた。橋はつなげるものであると同時に、吸い取るもの(ストロー)でもあったわけだ。橋に流れるエネルギー、双方向のエネルギーがどういうものであるか、それを長い時間の流れで見込む必要がある。

橋がかかる前、もっと昔にはサバニを漕いで恋人に会いにいったんだって。命がけで会いにいったんだって。移動が便利になった今、なぜ移動することの意味を私たちはもう一度考えるところ。初めて香港との交流をしに飛行機に乗ったとき、台風に遭遇した私たちは香港にたどり着けずに上海でひと晩を過ごした。その時から、移動することは当たり前ではなくなった。

転勤族の家庭に生まれた私にとって、「移動」というのは人生の大きなひとつの要素。移動する元と移動する先ではなく、「移動」自体。まだ、やっぱりここにこだわりたい。私にとって「移動」とはTRANS(トランス)=越。でも、これも一線のこちらからあちらに越えるのではなく、あくまでも線の上にいる状態。

ドン・キホーテ by Tomoco

おどろくことなかれ。宮古島には夜中も営業しているドン・キホーテがある。2016年8月にオープンしたとか。東京にいるときでも、ドン・キホーテとTSUTAYAとBOOKOFFにはほぼ足を踏み入れない。所狭しと並べられている商品の軽んじられている価値と、情報過多な店内、広告の多さに眩暈がするから。まさか宮古島でドン・キホーテに行くことになろうとは。外国人観光客の方々が、大きなスーツケースを転がしてドンキに入っていく。宮古島で? 本当に? 地元の人々が買い物をしている。宮古島で? 本当に? ドンキの黄色いビニール袋が大層憎らしく感じる。

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ドンキと昔をつなぐ鍵かも

 

みゃーくふつ② by Tomoco

みゃーくふつの面白さ。それは未だ定義されていない、生きた言語だということ。滞在先、友利地区の地域の飲み会で、オジイたちの会話を聴く。50代以上の方々はみゃーくふつを第一言語として話している。しかし、これが人によって全然違う。違う同士で通訳なしに話している。あの小さい宮古島に30の言語(方言ではなく!)とさえ言われているほど、ことばが氾濫し、未分化のままにされている、その総称がみゃーくふつ。たとえば、「ありがとう」。近年のみゃーくふつ教科書によれば、それは「たんでぃがーたんでぃ」。ありがとうの気持ちを強く表現するときは「がー」をめっぽうのばす。しかし、友利地区では違う。「たんでぃがーたんでぃ」は人にすまない、赦しを請うという意味があるために、飲み会の席では使わないと言う。ではなんというか。「まいふか」。で、別にオジイがこんどは「まいふか」ではなく「ぷからす」だという。別のオジイは「ぷからす」ではなくて、、、と本当に小説の中のようにおじいたちがどんどんとことばを放ってくる。「では、これはどういいますか」と聞けば、オジイたちが論争になり、結論は出ないし、教えてももらえない。あっているのか、間違っているのか、ではない。その場のシチュエーション、話す相手、そして自分の感情にピタリとあう一語を選び取って話しているのだ。そこで、ことばは記号としてのことば以上の役割を果たしている。現在のことば、ことばの意味を一義に限定して話すことばとは明らかに一線を画している。ほとんど蛸の擬態に近い状態。ことばがことば以外の何物かになっている。

発音もすごい。ドイツ語のような音がある。「す」に「゜」がついた音もある。正確には、みやーくふつにはもともと表記がなく、話されることばであったのが、これも明治以降に日本語の表記をつかって書かれるようになった。この表記を使用したことで、みゃーくふつが保存されることになった一面もあるだろう。言語が保存されるようになること、これも相反する二面。保存されるようになるとき、「ありがとう」は「たんでぃがーたんでぃ」に1語になってしまい、そのほか多くの「ありがとう」たちは死語となっていく。多くのことばたちが通ってきた運命。同時に多くのことばたちが日々生み出されていく。それは悪いことではない。けれど、いったんメインストリームが決まってしまえば、それ以外のことばの出番はなくなっていく。そこに、別のことばがあったことも忘れられていく。

たとえば、日本語の「自然」という言葉。「しぜん」は後から入ってきた概念で、西洋の概念。自然と人間社会が対立する構造。それに対して、古来の「じねん」は、人間社会も自然の一部に内包される構造。考え方が根本から違うのだ。

だから、「たんでぃがーたんでぃ」がメインストリームの「ありがとう」になったとき、「たんでぃがーたんでぃ」が持っていた赦しを請うというもうひとつの側面は失われてしまう。なぜならひとつのことばがふたつ以上の概念をもつことにたいして、現代はそんなに寛容ではないから。劇言語を除いては。

演劇のことばは違う。演劇のことばはいつも多層(であったほしい)。なぜなら、演劇は他者の言語による再表現だからだ。そこでは、ことばは一義的な意味しかもたないことばとして扱われない(ように私は創作する)。それが劇のことばである。

さて、最後に広東語に話をつなげると、広東語はやはり書かれない言語であった。喋りことばであって、書かれるときには中国語の文法をつかって表記するため、喋りことばをそのまま表記することがない。さらには、繁体字の入力に手間がかかるためである。だから、香港の友人たちは常にボイスメールでのやりとりか、英語入力を好み、繁体字の入力については、いったいどうやってPC入力したらいいからわからないとさえ言う。ところが、SNSの誕生で状況が変わってきたらしい。今までは書かれることのなかった広東語が、より自分の感情を表現するために、SNS上で表記されるようになりだした。たしかに、完全に書き言葉でかしこまったSNSでは多くの“いいね!”は集められないだろう。SNSがことばを一元化していく(絵文字だった、なぜあれを理解できるのか本当は疑問だらけのはずなのに)一方で、SNSがひとつのことばを進化させていることもあるのだと、希望もある。

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三線に挑戦する阿児ちゃんとフェイ



 

みゃーくふつ➀ by Tomoco

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みゃーく・ふつ=宮古のことば。これを語らずに私の宮古島滞在はない。

そもそも、なぜ宮古島のことばに興味を持っていたのか。

1.宮古島のことばには初めて出会うけれど、沖縄本島で出会っていたことばたちからの類推。そもそも方言ではなく、もはや違う言葉。でも、現在同じ国に属しているとされているがゆえに、みなさんが話しているのは標準語。外国語を話すようには差別化せずに存在する全くの異言語。

2.沖縄地方の方言は平安時代のことばがそのまま残っていると聞いた。本当かな。

3.話し手が減っているという言語の今を知りたい。

4.中国政府が推し進めている言語政策。香港および広東省で話されている広東語。すでに本土の一部の公共機関や教育の中では地方言語は禁止されている。ここ数年しばしば訪れる香港。明らかに中国語表記の標識が増え(でもこれは日本も同じだけれど)、図書館の本が広東語から中国語(標準語)に入れ替えられたり、初等教育が中国語になり始めた、と聞く。広東語と中国語。両方ともわからない私が聞いてもまったく別の言語。これが、標準と方言という扱いで統制されていくのはどういうことなのか。

  日本が明治維新以降行ってきた言語政策がまだ地続きに行われていると思う。琉球諸島に対して行った言語政策。アジアの諸地域に対して行った言語政策。その人々の母語を奪い、別の言語を押し付けることで、来ている服を着せ変えるように生活を着せ変えようとした。明治維新政府は、自ら帝国の一員になるためにおこなった意識の刷新を、今度は服従させるために支配の原点として行ったのが言語政策だ。失うのはことばだけではない。そのことばの後ろにあった生活、習慣、風習、ものの考え方、人間、すべてを奪ってしまう。

さて、宮古は?

下地島・海 by Tomoco

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いん(海)

海。この1文字で語ることがもはや不可能。これを同じ海と呼ぶことができるのか? びっくりするほど美しい。海の向こうから神様、先祖がやってくると思うよ、そりゃあ。と本当にため息しか出ない。宮古島の海と宮古島のことばに共通点がある。

下地島・佐和田の浜・明和の津波(1771年)による巨石群 by Tomoco

1771年の明和の津波で運ばれてきたという巨石が海に浮かんでいる。みたことのない景色。津波の後。1771年のその津波で運ばれてきたのは巨石の他になにがあっただろう。海で朽ちる木の舟や網、生き物たちもいただろう。沈む金属製の舟や車、タンカーから流れ出る油はなかっただろう。

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佐和田の浜の写真はないので、同じように海を渡ってきた言霊の歌(カポエラの歌)を歌う縁側のスティーブ

 

Day8 by Tomoco

宮古島のことばにすっかり魅了されている。

宮古にはオトーリ(御通り)という乾杯方法がある。

私たちが滞在している友里(トモリ)という集落は、宮古の中でも特に酒飲みのエリアだそうですが、地域の飲み会にお邪魔させていただくと、オトーリが回ってくる。

親が盃をもって感謝の口上を述べ、その感謝の気持ちを座に集まっている人たちに回していくもので、まあ、何度も何度も水割りの泡盛をいただくことになるわけです。

昨日の交流会では、私たちもオトーリを回させていいただき、そして宮古島のことばの複雑さに本当にびっくりしました。

 

ひとりめ「ありがとうは宮古のことばでは「たんでぃがーたんでぃ」」

ふたりめ「たんでぃがーたんでぃは、赦しを乞うという意味があるから、ここではだめよ。いまはまいふかでいいさ」

さんにんめ「まいふかは今はつかわんわけ。××××≒飲んででいいよ」

よにんめ「××××はだめ、目上の人には〇〇〇〇ね」

ごにんめ「〇〇〇〇じゃなくて、△△△△ね」

 

とかなんとか、おひとりおひとりと話していると、オトーリ回すのに時間がかかって、「遅い!」と怒られる。

友里という集落の中でも、微妙にことばが違うという。もともと宮古のことばは書くことができなかったというから(後になってひらがなをもちいて表記する方法を作ったが、「す」に「゜」のつくような音もあるし、ドイツ語のような発声の音もある)、辞書のような機能をするものが長いこと存在していなくて、定まった用例のないことばなのでしょう。

 

本当に必要とされて話されてきたことばというのはこういうものなのかもしれないと思います。まるで、ひとつの言語が生まれている瞬間に立ち会っているような感動。

オジーたちは宮古のことばと日本語とを自由にあやつり、その時その時で必要なことばを瞬間的に選び取って話している。スーパーかっこいい。ことばが踊っている。

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各テーブルに配置されるためにとってある大量の泡盛の一升瓶。左手に一升瓶、右手に盃を持ち、オトーリまわします。。。

Day 7 by Ako

2018.11.21  10:00-12:00

宮古島市立久松小学校にて 6年生50名対象 ワークショップ

 

Students:エイサー

Artists:自己紹介

Ako:たるぴー語で挨拶

「ひぴさぱまぱつぷしょぽうぷがぱっこぽうぷのぽみぴなぱさぱんぷ こぽんぷにぴちぴわぱ。わぱたぱしぴのぽなぱまぱえぺはぱ あぱこぽでぺすぷ。きょぽうぷはぱ どぽうぷぞぽよぽろぽしぴくぷおぽねぺがぱいぴしぴまぱすぷ。おぽわぱりぴ」

Q:なんて言っていたかわかったひとは手をあげてもらう。

Student Y:挙手

Ako:「ではじぶんの名前をたるぴー語で話してみてください。」

Student Y:「・・・・ゆぷ うぷ まぱ」

Ako:) 「正解!それではこれからゲームをはじめます。5つの島にわかれてもらいます」

Students:1~5の番号で振り分け

Artists:それぞれが島になり、Studentsとコミュニケーションをとる。

Ako:「ではこれから各島に”シンボル”をたるぴー語で与えます。それが何なのか、島のみんなで考えてください。」

Island Tomoco:ふぷらぱふぷーぷぷ

Island Fei:ばぱれぺーぼぽーるぷのぽしぴろぽいぴろぽ

Island Yuya:ばぱすぷけぺっとぽぼぽーるぷ

Island Steve:ばぱれぺーぼぽーるぷのぽあぱおぽいぴろぽ

Island Ako:ぼぽうぷしぴ

Islands:話し合い、紙に書いて考える

Islands:Akoと答え合わせ

正解するとシンボルの実物がやってくる。

Islands:それぞれの島で「こんにちは」と「さようなら」をつくる。言葉でもジェスチャーでも良い(3分)

Islands:島の外、海へ出て、自分の島の挨拶を他の島のひとと交わす。

Steve:演奏

Islands:他の島の挨拶を覚える

Steve:演奏

Islands:他の島へ行き、自分の島の挨拶、その島の挨拶をする。合っていればその島のシンボルを受け取り、自分の島へ持ち帰る。

島の中で記録係を決め、シンボルの移動を記録する。シンボルには番号が書かれている。

Steve:演奏

終了

感想などフィードバック

Student R:感想作文

一同礼

 

サイン会

Student Y:「まぱたぱ きぴてぺくぷだぱさぱいぴ」

 

 

 

Day5 by Tomoco

與那城美和さんに会う。

宮古島に生まれて宮古島に育った美和さんは、宮古島のことばの歌を歌っている。

美和さんは、ことばをひとつずつ丁寧に風に乗せるように歌う。

はじめに歌っていただいたのは、「豊年の歌」。

人頭税という恐ろしい法律のもとに苛酷な労働を強いられていた宮古のひとびとが豊作を願い歌った歌。「ゆうやなうれ」。ハーモニーの美しさ。

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この滞在の初日、スティーブがカポエラの歌の話をしてくれた。奴隷としてアフリカから南アメリカへと連れてこられた人々が、海を渡ってやってきた記憶を忘れないように、日々の生活の苦難を乗り越えるために、歌に物語を込めて歌っていたこと。

 

アーグ(歌)が生活と共にあって、そこに物語があって、忘れられていくものに命を吹き込む。

美和さんはひとつひとつの歌についてお話をしてくださり、そして丁寧に歌う。

むかし、島と島、海をはさんで歌う歌が風に乗って聴こえてきたという。

目の前にいる美和さんの歌も、風にのって遠くまで運ばれていく。

 

そして、美和さんが「雨乞いの歌」を歌うと、本当に雨が降り出した!

わおっ。

切れ目ない雨雲の下で、私たちは雨乞いの歌に合わせて「クイチャー」を教えてもらう。

そんなに難しくはない(?)ステップに、フェイはまったくの悪銭苦闘ぶり。本当にできない。私たちの踊りは、バラバラ。。。

あれ、雨やんじゃったよ!!

大笑いして終わりました。

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戦後、三線が一般的になり(それまではお金持ちしか持てない楽器だったという)、三線と共に歌われる歌が、今でも歌い継がれているという。歌の中には生きていることばがあった。宮古島にきて、「ことば」に感動する。すごいなぁ。

あたらす市場 by Tomoco

日々の食品の買い物で一番好きだった場所。あたらす市場。みたことのないお野菜がいろいろとある。クセが強そうで、おいしそう。島のお野菜。その土地にしかないものを、その土地でいただく。これがその土地に出会うひとつの方法である。生の島とうがらしを島の外に持ち帰ってはいけない(メモ)。

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塚原さんの作るご飯は本当においしい。手前にある緑の豆?島の野菜おいしかった。

 

Day 3 by Wong Fei Pang

 

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We spent time working on our bodies. Honestly, I am not get used to utilise my body to perform. However, after experiencing the assistances from Steve and Bo, surprising I can achieve something that beyond my expectations. The exercises we worked on the body is a coincidence to recall my memory about a book I read before. The book mentioned the body and the soul is interconnected. Body itself is the place for our soul to be presented and be practiced. We also had some great chats at night especially focus on the diversity of languages. The local Japanese people shared how their language is declining in the sense of holding its own cultural context, as Japanese language mixed with lots of English. I thought a lot about the dilemma of Cantonese in the global development. I sincerely hope we can preserve our own language from extinction.

主催:NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク

平成30年度文化庁アーティスト・イン・レジデンス活動支援事業